初音ミク論(3) 「初音ミクの魅力は人間性か機械性か?」
地味に好評(?)の「初音ミク論」のつづきです。
また興味深いご意見をいただきました。
そのおかげで、さらに考察が深まったように思います。
「通りすがり」さんと「yuuboku」さんの弁証法的なご議論に、感謝いたします。
まず、「通りすがり」さんのご意見から。
通りすがり 『色んな感じ方があると思いますが、うまく人の歌を歌っているのを紹介するのは、初音ミクブームを紹介するための手段としては、何かズレている気がします。
せめてオリジナルソングを紹介してください。
個人的には、『初音の』に代表されるアホの子っぽい歌い方に魅力を感じました。
まるで機械が生きているように感じられたのは、うまく歌えてないからだったのだと思います。
駄文失礼します。』
そして、それに対する「yuuboku」さんのご意見。
yuuboku 『せっかくいいこと言ってるのにコメント欄にがっかりだ。「私の時間」のラスサビ前を参照。』(はてブのコメント)
上でご紹介いただいた初音ミクのオリジナル曲「私の時間」は↓です。
果たして、初音ミクの魅力は、「人間への接近性」なのか「あくまで機械的な不器用さ」なのか?
おそらく、私のように「人間への接近性」に萌える人たちもいれば*1、通りすがりさんのように「機械的不器用さ」に萌える人もいるのでしょう。
そしてまた、私も部分的には、初音ミクの歌い方に感じられる「機械的不器用さ」にも、多少萌えています。
むしろ、こう言うべきでしょうか。「人間性と機械性の共存という、これまでの歌手にない前代未聞の両義性が、初音ミクの魅力である」と。
とりあえずは、こう結論づけておきます。
なお、これまでの議論に関連づければ、
というように対応づけることができます。
すなわち、