ちゃりもえ 第1話 「リアル世界の公共性」

ukpara2007-07-31

今日は意外とすずしい。ここ部室も。
窓からの風がなんて心地いいんだろう。


――と思っていたら、またAさんとBさんがやってきた。
この二人はやっぱりできているのか!

A「君がこの前言っていた、『公共性』ってテーマだけどさ」
B「ああ」
A「おれもちょっとその議論につきあってやろうかとおもってね」
B「おう、あんがとな」
A「おう」
B「じゃあ、とりあえずはおれらの感覚に一番近い鈴木謙介さんの議論をネタに行くか」
A「そだね」
B「鈴木さんの現状認識は正しいとしてさ」
A「うん」
B「問題は、彼の提示する処方箋だよね」
A「だな」
B「そこで、彼が今のところ提示している処方箋を、近著『〈反転〉するグローバリゼーション』と『ウェブ社会の思想』で確認しておこう」
A「よろしく」
B「え、おれ任せかよ。ま、いいや。
ネットでの島宇宙化は、良いとしよう。資源はほぼ無限だから、どんどん細分化して、気の合う者同士で群れていればよろしい。資源を奪い合う競争なんぞ、生じない。むしろ問題は、無限なるネット・インフラを支える、リアル世界の秩序を、どう保つか、ということだ。つまり、リアルでの公共性。
公共性の問題として、鈴木さんは二つ指摘している。
第一の問題(問題1)は、『グローバリゼーション(多元主義の拡大)が反転的に帰結するローカリゼーション原理主義同士の対立)』。これは、この本で指摘されている。

“反転”するグローバリゼーション

“反転”するグローバリゼーション

で、この問題1への処方箋(処方箋1)は、こうだ。
多元主義とか原理主義といった価値観を共有せずとも、『生き残りのための制度』(福祉国家は共有しうる。で、そういう福祉国家の共有から、(価値観の違いを越えて)国民としてのアイデンティティーを共有することが可能になるだろう。もちろん、この国民国家主義が(グローバリゼーションの影響下で)原理主義の一つに反転してしまう危険性は、ぬぐえない。しかし、この反転を利用してつねに『再反転』させるメカニズムを確保できれば、国民国家主義は、上の問題1への一つの処方箋となりうるのではないか(242-249ページ)」
A「ほほう」
B「では、つづいて、第二の問題(問題2)を確認しよう。IT技術が生活全般に遍在していくと、情報(アーキテクチャとしてのデータベース)が、個人の選択行為のデータを収集し、個人の欲望を規定してしまう。これは、個人の主体的選択を前提としている民主主義(現代のリアル世界での公共性)にとって、根本的な脅威である。つまり、『情報化による民主主義の危機』という問題。これは、こっちの本で指摘されている。
ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス)

ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス)

で、この問題2への処方箋(処方箋2)は、こうだ。
いくら情報化が進んでも、人は他者からの承認を求めるものだ。mixiモバゲータウンといったSNSの隆盛を見よ。はたまた、アクセス数やブクマ数にこだわるブロガーたちを見よ。情報化=データベース化=動物化の権化たるオタクたちでさえ、自作の作品だけで萌えを満たすことはできずに、必ず、他者の作品、他者との萌えの共有を求めて、コミケニコニコ動画などの『萌え共有空間』を構築しているではないか。よって、そこまでに強力な『他者承認欲求』を、利用しない手はない。
そもそも、データベースは、『いまだデータベース化されていない個人の選択行為』に依存しているのだった。いまだデータベース化されていない、ということは、他者たちの生きるリアル社会の中にまだある、ということである。よって、個人を捉えるデータベースは、その個人と他者たちとのコミュニケーションに、依存している。他者たちとのコミュニケーションこそが、データベースを支えているのだ。だからこそ、人々はSNSに群がり、ブログを他者たちに見せ、萌え共有空間を構築するのである」
A「お、いいねいいね、なんか問題1よりも身近だし、実感の奥の深いところを言葉にしてくれている感じだ」
B「だよね。まあ続きを聞いてくれ。
結局、情報化とかデータベースは、ぼくらの他者承認欲求に依存している。だからこそ、その他者承認欲求を利用した処方箋を考えればいいわけだ。で、鈴木さんは、他者の承認を求めて他者と触れ合う際に、不可避的に直面してしまう『時間の不可逆性』という現実――宇野さんの言う『重い現実』――に着目する。不可逆的な時間の重み。たとえば、新しい集団は、もっと古くから存続している集団を、『時間』という点で追い抜くことができない。個人の主体的選択を超えていて、しかも、個人が関わらざるをえないもの。それが、『時間』(重い現実)である。そこから、『過去』や『未来』の他者との関係性が、不可避的に要請される(222-256ページ)。鈴木さんはここまでしか論じてないけど、おそらくここに含意されているのは、さっきの処方箋1と同様に、(たとえば国民国家のような)『想像的共同体』(過去や未来の他者たちとの想像的な共同性)の可能性なんだろうな。つまり、人々の他者承認欲求は、不可避的に『時間の不可逆性』と直面するから、それを原動力にすれば、過去や未来の他者たちと想像的な共同性(たとえば国民国家のような)を構築できる。そこに、『リアル世界での公共性』を確保することができるだろう。それによって、『他者たちとの関係性』が確保されれば、データベースから一方的に欲望を規定されているかのような錯覚(宿命論)も回避されて、民主主義が維持されるだろう
A「なんか最後はまた抽象的になって、実感が伴わないね。しかしこの人、2007年の春に立て続けに2冊も本出してるんだね。すごいね」
B「まあ、それまでに長い準備期間があって、偶然、出版時期が重なったんだろうね」
A「ま、いいや。で、どうなんだろね、その処方箋1やら2やらは。どうも国民国家とか民主主義とかの話になると、実感から遠い話のような感じがするんだよなあー」
B「まあねー」
A「でもまあ、原理主義の対立(問題1)とか、民主主義の危機(問題2)とかってのは、世界の政治情勢とか、国内での若者の政治離れとか見てたら、それなりに実感もてるんだけどね。でも、それに対する処方箋1・2が、どうも抽象的で・・。唯一実感に沿っていたのは、他者承認欲求の指摘とか、時間の不可逆性(重い現実)の重要性とか、かな」
B「たしかにねー。じゃあ、とりあえずは、その実感のわく部分から議論したいところだね」

ほんと小難しくて疲れたよ・・。もっと楽しい話にしてくれ。