ぱふゅめも 「Perfumeと後期近代」

GAME(DVD付) 【初回限定盤】

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参考映像(中田ヤスタカ完全プロデュース楽曲のPV)
「コンピューターシティ」(2006年1月11日)
「エレクトロ・ワールド」(2006年6月28日)
「チョコレイト・ディスコ」(2007年2月14日)
「Twinkle Snow Powdery Snow」(2007年2月14日)
「ポリリズム」(2007年9月12日)
「Baby cruising Love」(2008年1月16日)
「マカロニ」(2008年1月16日)
「シークレットシークレット」(2008年4月16日)

――ちなみにPerfumeは、くくりとしてはアイドルでいいんですかね?
のっち 「何でもいいです。どこのくくりでも」


――Perfumeはどんな存在になりたいですか?
のっち 「どこにも属さない、ちょっと変わった人達でいたいです」
あ〜ちゃん 「「変な人」って言われたいです!」


livedoorニュース インタビュー:Perfume(2007年9月12日)
http://news.livedoor.com/article/detail/3302952/


部室にて。
BさんがPerfumeヘビーローテーションで聴いていてうるさい・・・汗。


「ハマってますね。それはどうでもいいんですけど、もっと静かにしてもらえませんか?(怒)」

B 「そうカッカするなよ。これも研究なんだからさ」

「なんの研究っすか!」

B 「もちろん、来たる新社会(10年代)を見据えるための研究だよ」

「はあ・・」

B 「Perfumeの当人たちは、当初は、SPEEDのようなかっこいい存在をめざしていたらしい*1。また、今ではニコニコでのアンチ・コメントで見られるように、モー娘と比較されることが多い。しかし、明らかに、Perfumeには、SPEEDにもモー娘にも回収されない、新しい要素がある。それが何なのか。そこが、10年代に向かおうとしている今の文化潮流の、クリティカルポイントだよ」

「はあ・・そうなんですか」

B 「で、その要素というのは、おれから見ると、「フリーダム」だね。何にもとらわれない「自由さ」

  • 女性アイドルグループの伝統(かっこよさとかわいさの二極分化)に縛られない、自由で斬新なダンス*2。さらに、地元性を抑制しない「広島弁トーク」。これら2点が、SPEEDとの違いだ(しかしこれら2点は、モー娘とある程度共通する点であり、だからこそ、アンチによってモー娘と比較されてしまう)。
  • さらに、プロデューサー(つんく中田ヤスタカ)の権威に縛られない、自由な言動(中田は意識的に彼女たちにフラットに接するようにしているし、彼女たちも中田を「電池を食ってる」「姿勢がよい」などとトークのネタにしたり、口真似をしたり、「近所のお兄ちゃんみたい」と話している*3)。これがモー娘との違いだ。
    • もちろん、よく指摘されるように、既存のアイドル曲の常識に囚われない「ヘビーなテクノサウンド」も、自由さの一つであり、重要な魅力だ。しかし、「サウンドの新しさ」(新ジャンルの開拓)という点は、SPEEDやモー娘においても、それら以前のグループとの比較で言えば、指摘できた点であり、実は、さほど本質的ではない。歌い手が流行るには、常に「新しいサウンド」が必要なのだ。・・しかし、数ある新ジャンルの中で、なぜ「ハードロック」や「クラシック」などではなく、「テクノ」なのか? それについては後で述べよう。
    • また、掟ポルシェ氏が雑誌『m9』創刊号で指摘したように、既存のアイドル曲とは一線を画した「擬似恋愛ではない歌詞」も確かに重要だ。しかしこれは氏も指摘したように、モー娘にも一部当てはまる点であり、やはりPerfumeの新しさを十分に言い当てているとはいい難い。
    • さらに、歌詞について言えば、そのポスト決断主義的な「終わりのある日常」を描いた内容も、重要だろう。これについてはさわやか氏による歌詞解釈(これこれ)を参照。さらに実は、Perfumeというユニットそのものが、「終わりのある日常」として、当人たちには現象している(「ずっとPerfumeのままでいたいです。ひとりひとりがソロでどうのこうのとかそういうのではなくて、やめるときは3人同時に。」「うん、3人同時にやめますよ。」*4)。このようにPerfume現象は、東浩紀宇野常寛論争の文脈においても、良い素材である。
  • なお、ニコニコのアンチ・コメントで言及されるような、アイドルらしからぬ「ルックスの平凡さ」も、「アイドルの伝統に縛られていない」という点で、「自由度の高さ」を強調している。この点はPerfume当人たちも自覚的に演出しており、たとえば、「アクターズスクール広島時代では、メンバー3人のうち2人が下位クラス(Dクラス)に所属していた」という逸話や、「売れない時期が長く続いた」という苦労話を、TVで頻繁にトークのネタにしている。


こういった「伝統・権威に縛られないこと」(自由さ)は、ギデンズの言う「再帰性だ。


近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─

近代とはいかなる時代か? ─モダニティの帰結─


そして、再帰性」という観点から見ると、Perfumeの最大の特徴である「無感情な歌い方」「ロボットダンス」(=テクノ)の、社会的意味が明らかになる
もちろん、「テクノユニット」を目指しているから、意図的に「無感情な歌い方」(古くはYMOのような、最近では初音ミクのような)と「ロボットダンス」をしているわけなのだが、問題は、なぜ今「テクノ」(無感情)が流行るのか、という点だ。
権力論の文脈で言えば、再帰性の低い前期近代では、内面に介入することで国民の人口を調整する「規律訓練権力」が支配的だった。そこでは、国民の内面を統制する規範・表現が支配的だった。そこで支配的な規範・表現は、たとえば出産を促す結婚イデオロギーであり、国民の内面を統制する感情豊かな表現だった。代表例が、生涯一人の人と寄り添う「ロマンチック・ラブ」であり、国民を扇動する「軍国歌」だったわけだ。
それに対して、再帰性の高い後期近代では、内面に介入せずに国民の人口を調節する「環境管理権力」が支配的になる。そこで支配的な規範・表象は、たとえば「親密な関係性」(家族・友人・恋人)においては、結婚・出産・離婚の自由化イデオロギーであり、それを概念化したのが、ギデンズの「純粋な関係性」(相手がいつでも替わりうる)だ。また、たとえば「表象の消費空間」においては、感情を削いで解釈を自由化した表象*5であり、その代表例が、無感情な「テクノ」だ。


モダニティと自己アイデンティティ―後期近代における自己と社会

モダニティと自己アイデンティティ―後期近代における自己と社会

親密性の変容

親密性の変容


つまり、再帰性の低い時代(前期近代)では、「感情豊かな表象」が支配的になり、再帰性の高い時代(後期近代)では、「感情を削いだ表象」が支配的となる。よって、初音ミクPerfumeの無感情な歌い方やロボットダンス(テクノ)は、今突入つつある後期近代においてこそ、流行るのだ
そういう意味で、Perfumeが「『近未来』テクノユニット」と自称するのは、ある意味、正しい。その場合、「近未来」というのは、後期近代を意味している。


このように、これまでになく高い再帰性(これまでになく高い自由度)こそが、Perfumeの流行の第一原因であり、魅力である
そして、自由度の高さは、ジャンルを越境する力の高さを意味する。だからこそ、彼女たちはアイドルファンだけでなく幅広い音楽リスナーをも、男性だけでなく女性をも、若者だけでなく年配者をも、魅了している*6のだ


なお、Perfumeの高い再帰性(自由度)は、Perfumeの自己認識にも現れている。下記で引用したインタビュー発言によれば、Perfumeの自己像は、前期近代的な「反省的自己」(特定の自分らしさに固執する自己像)ではなく、後期近代的な「再帰的自己」(その場ごとの複数的な自己像)である。再帰性の上昇による「自己像の変容」――反省的自己(前期近代)から再帰的自己(後期近代)へ――については、鈴木謙介カーニヴァル化する社会』p.128-129を参照。

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)




・・とまあ、俺はこう思うんだけどね」


「はいはい、再帰性の高まりですね。どうでもいいですから、ヘッドホンで一人で聴いてください」

B 「サーセン」




かしゆか 「んーなんかあのー、枠にとらわれないで、すごい、自分たちのやりたいことを、自由にできるグループではいたいなーとはすごく思います。なんか、私たちはこうあるべきだからこうじゃなきゃだめであれはやりたくないとか、これはイメージと違うからそれはだめとか、そういうのは無しで、すごい、自分たちも楽しいし、周りの人も楽しめる、いろんなことを、全然なんか、こう、これはだめとかあれはだめとか考えないで、すごい幅広くやっていきたいです」

のっち 「うん、なんかゆるるうく、ずっと三人でなんか、やってたいね」

あ〜ちゃん 「そう、です・・・」

三人 「うふふふふふ、はははははははは」

かしゆか 「かたい(笑)」

のっち 「あ〜ちゃん(笑)」

あ〜ちゃん 「(笑)。最近片言になっちゃうんですよ。だから頭悪いんだと思うんですよね、たぶん。はい(笑)」

かしゆか 「考えながらしゃべってんだろうね(笑)」

あ〜ちゃん 「そうかなあ(笑)」

あ〜ちゃん 「まーでも、なんか、アイドルっていうのも、別に全然いやじゃないし、むしろ嬉しいよね」

のっち 「うん」

かしゆか 「うん」

あ〜ちゃん 「嬉しいし、なんかアーティストって言われても、ん?アーティスト?って感じだし、だからどっちにも当てはまらないっていうか、どっちもどっちみたいな。あ〜ちゃんですかしゆかですのっちです三人合わせてパフュームですとか、そんなのアイドルしかやらないと思うので、それはやっぱアイドルの内に入ってんのかなーとも思うし、でも、ライブのときのあんなグダグダなトークは、絶対アイドルはしないと思うんですよ。アイドルの人たちは絶対決まった台本とかが、ちゃんとあってちゃんとそれ通りに、こう可愛く、こう『好きなものはパフェです♡』みたいな、そういうのがたぶんアイドルの方々だと思うので、アイドルってこう、言うのも、なんか言ってもらうのも申し訳ないぐらいの感じで、だから、ほんとどこにも当てはまってないと思うので、でもそこが、ある意味いいというか、こう、いい意味で、こう何にもとらわれていないっていうか。でもそこはやっぱ大事にしていきたいっていうか、のはありますね。うん」



――テレビ埼玉「HOT WAVE」Perfumeロングインタビュー(2007年9月6日23:00-23:55)
http://www.youtube.com/watch?v=wgCeZeXKkBw&feature=related

GAME

GAME



*1:http://news.livedoor.com/article/detail/3470801/?p=4

*2:また、インタビューでよく話題に上がるように、歌詞に合わせて1番と2番で微妙に異なる振り付けも、これまでにない特徴だ。これは、アイドル曲の表現が自己準拠的(=再帰的)になったことを意味しており、後に述べる「社会の再帰性の上昇」(後期近代)とまさに対応している。

*3:http://jp.youtube.com/watch?v=89G8J9hEKg4&feature=relatedhttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3056047

*4:http://magazine.music.yahoo.co.jp/spt/20080411_001/interview_003

*5:この点は、NHKトップランナー」(4月15日放映)で、Perfumeの当人たちが、はっきりと説明していた。「椅子に座って、何も考えずに歌う。立つと力が入って熱唱してしまうからだめ。何も考えずに歌うのがいちばんよい。感情を込めないことによって、聴いている人がいろんな捉え方ができるようにしている。それがPerfumeの曲の良さ。一つの物語を提供するのではなく、人それぞれの感じ方ができる。」http://jp.youtube.com/watch?v=L-l5vPAg0mc

*6:http://ja.wikipedia.org/wiki/Perfume#.E5.B9.85.E5.BA.83.E3.81.84.E3.83.95.E3.82.A1.E3.83.B3.E5.B1.A4